自己解放への気づき:他人の目から自由になる道
これまでの人生で
良いことも悪いことも
たくさんの体験をしてきて
気がついたこと。
他の人が私のことをどう思うかは、
私の人生には直接関係がない
ということ。
例え、
自分が理不尽に批判されたとしても、
自分の選択や行動や発言を
ネガティブに思われたとしても、
それは相手の問題や判断であって、
私自身の問題ではないのです。
相手の問題を
自分の人生に持ち込まれる時、
人は、それを自分自身の問題だと
勘違いしてしまうのだ。
もちろん、
その経験から自分を振り返り、
成長の機会とすることは
大切なことです。
けれども、
誰かからの批判を”直接的に”
受け取る必要はないのです。
自分にとって
何がよくなかったのか、
どんな変化が必要なのかは、
最終的には
自分で決めることだからです。
私たちが
他人との関係で経験することは、
実は自分自身との関係を
映し出しているのです。
誰かが私を批判したならば、
それは私が無意識のうちに
自分自身のある部分を
批判しているという事です。
自分の人生に起きる出来事を
このように捉えることが
できるようになると、
この世界の仕組みを
より深く理解できるようになります。
他人の批判に対して
強い感情的反応を示すのは、
その批判が自分の中の
何かに触れているからです。
つまり、その反応は自分自身の
内面の問題を示唆しているのです。
なぜなら、その批判を通じて
体験している感情は、
自分の中にある何らかの葛藤を
示しているから。
一方で、誰かが
私を批判したり否定したとしても、
何とも思わない時、
反応が起こらない場合も存在します。
そこに葛藤はなく、
私は私を承認しているのです。
私は、他の人が
私のことをどう捉えるかに
意識を向けないと決めました。
自分の人生を望む方向に
舵取りができない時、
ほとんどの場合は
根底にこの問題があります。
他の人が自分をどう捉えるかという
『他人の世界』で起きている
『他人の問題』を、自分の問題として
受け取ってしまうのです。
実際は、
もし誰かがあなたを批判したり
ジャッジしたとしても、
あなたの人生には
何の問題も起きていません。
けれども、あなたが他人の言葉によって
過剰にネガティブな反応を
してしまうのなら、
それは、あなたの中に
何か向き合うべき課題がある
証かもしれません。
物事を個人的に
受け取る必要はないのです。
私の人生にも、
あなたの人生にも、
本質的には何も問題は
起きてはいないのです。
物質世界で起こる出来事は、
私たちの認識を通して
解釈されたものです。
つまり、
客観的な現実というよりは、
私たちの主観的な経験とも言えます。
私たちが経験する世界は、
自分自身の内面世界の反映です。
外の世界は、自分自身を
より深く理解するための
鏡のようなものです。
自主独立した人間たちが、
それぞれの世界で
こうして創造を広げていきます。
そして、それぞれの個が
創造した世界が複雑に交差しながら、
私たちは存続していくのです。
これがこの物質領域、
わたしたちの生きている世界の
成り立ちなのです。
他人の意見や価値観と
自分のものを区別できないと、
自分らしさを失い、
苦しい思いをすることになります。
誰かの目を気にしながら、
誰かに承認されるため、
受け入れてもらうためだけに
自分の時間も能力も
注ぎ続けることになるからです。
そう、それは言ってしまえば、
過去の私の姿でもあります。
私は、
すべての批判やジャッジメントを
個人的に受け取らないことに
決めたのです。
私の世界や私自身がどう存在するかは
私が決めることであり、
私にしか決められないことだから。
自主独立した存在として、
集合意識からも、
すべての葛藤からも
自分を解放して生きる。
それが、私が決めた生き方であり
私という存在の定義なのです。
今日はちょっと
難しい話をしましたね。


