『愛されるためには正しい自分でいなけばならない』という葛藤を手放すまで

365selfloveclub

久しぶりに
大きな葛藤が出てきたたので
それを、手放すためにも
ブログに書き起こします。

ここ数日、頭の中で
ぐるぐるしている言葉があり
そして、心をモヤモヤさせている
感情があった。


『私は、言いかしたい』
『私は、自分が正しいことを
 証明しなければならない』



↑なんだか物騒な感じだけど。笑

強い怒りとともに
こんな想いが浮かんできた。

例えば、過去に
自分のことを侮辱ぶじょくした人たち。
自分を否定してはなれていった人たち。

そういう人たちに、
ものすごく大きな怒りがいた。


その当時は、何も言えなかったけど
今なら、こういう風に言い返せる。
こんな風に対応できるし!!

みたいな感じで…
もう既に終わった過去なのに
どうすることもできないのに
悔しさなのか、後悔なのか

心の中で、その過去を思い出して
彼らと口喧嘩くちげんかしているんだ。


こうやって言えば、
彼らを納得なっとくさせられたのか?
こうやって言えば
彼らを言いかせられたのか?

とにかくギャフンって言わせたい!
『ごめんなさい、私が間違まちがってました』
って、謝らせたい!みたいな。

私は本当はきっと、その時
すごく傷ついたんだよね。
そして、すごく悲しかったんだね。
またまた、怒ってもいたんだね。

今になって、そう気付いた。

そして、自分自身がまだ過去に
執着しゅうちゃくしていることにも
同時に気づいたんだ。


なぜここまで、
彼らに執着してしまうんだろう。

もう過去だし、終わったことだし
どうにもできないのに。

それは、頭ではわかっているけど
怒りや悔しさやモヤモヤが収まらない。


そうか、これはきっと葛藤かっとうだ。

どんな葛藤が、
私をこの過去の出来事に
とどまらせているんだろう。

私の言葉を、
“私の喜びのため”には使わずに
誰かを言い負かすために使おうとする。

この執着は、一体、
どこから来ているのだろうか。


˗ˏˋ ෆ ˎˊ˗


私は、自分が正しいことを
証明しなければいけない

私は、自分の方こそが正しかったと
相手に思ってもらわないといけない

私こそが、正しいことをしていると
思ってもらわないといけないのに…



これは…葛藤だ。
まぎれれもない葛藤だ。

私が、
これまでずっと感じていたのは
喜びではなくて、あせりだった。

自分が、自分こそが正しいのだと
証明しょうめいしなければ、
そんな焦りといきどおりと、怒りだった。

そんなドロドロとした感情が
ずっと、私の心を支配していたんだ。


なぜだろう。なぜにここまで、
正しさや、正しい自分だと
思ってもらうことに
執着しゅうちゃくしてしまうのだろう。

私は、葛藤をもっと深く見ていった。

そうしたら、さらに見えてきたもの。


だって、そうしなければ
私は愛してもらえない。
私のことを見てもらえない。

だから、どうしても証明しなきゃ。
私が、正しかったってことを。
あの人に、わかってもらわないと。

そうでなければ、
私はずっと愛してもらえない。



ようやく分かった。
これは、
母親に対してのおもいいだった。

きっと、私が正しい人間になって
正しいことを言って
私こそが正しかったと分かってもらえたら
母は、私のことを考えてくれる。

そうしたら、向き合ってもらえる
そうしたら、愛してもらえる(はず)

だから、だから私は、
母に愛してもらうためにも、

『私が悪かったわ』
『私が間違ってたわ』

そう、母に思ってもらうために
言ってもらうために
正しいことをしなくちゃ!!
正しい人間にならなくちゃ!!

正しい自分になって
私こそが正しかったってことを
母に証明しなくちゃ。

そうして、ずっと執着していた。

相手を言い負かしてでも
相手を否定したとしても、
私は、自分の正しさを確立させたかった。


結局、私はやっぱり
母に愛されたかったのだ。

でも、
母からの愛に条件をつけていた。

でもそれは、
母がそうしたわけではなくて
私こそが、そう仕向けていたのだ。

私が正しいことをすれば、
正しい人間になれば
きっと、愛してくれるはず!
こっちを見てくれるはず!

逆に言えば、私の葛藤はこうだ。


正しい人間にならなければ
愛してもらえない。
母にも、他の誰かにも。



母親との関係を
他の誰かにとの関係にも
投影とうえいしていたんだよね。

だから、他の誰との関係でも
『私が正しいと思ってもらわないと』
という葛藤がつねにチラついていた。


˗ˏˋ ෆ ˎˊ˗


私は母に愛されることを
こんなにも求めていた。

でも、自分が葛藤を持っていて
愛されることに
条件をずっとつけていたから

だからこそ、必死になって
死に物狂ものぐるいで、正しい人間に
なろうとしていたんだね。

自分の本当の幸や喜びを
後回しにしてでも
正しい自分でいることを
選んできたんだ。

だから、私はずっと恐れていた。


“あなたは間違ってるよ”
“あなたの考えは違うよ”
“あなたは正しくないよ”
“あなたよりすごい人がいるよ”
“あなたは大したことないよ”


そう言われるんじゃないかって
いつも、私はおびえていたし
おそれてもいた。

誰かが、目の前で他の人をめると
自分は認めてもらえないない、
『あなたは間違ってるよ』
言われているような気にもなった。
(今思えば、過剰反応しすぎだね😂)

その人は、ただ素敵なことや
その人にとっての喜びを
シェアしてくれてただけなのに。

私は勝手にふてくされて、
卑屈ひくつになって

“私は認めてもらえてない”
“私は愛してもらえてない”って
傷ついて、落ち込んでた。
(うわ〜〜なんて面倒くさい女なんだ😂)


˗ˏˋ ෆ ˎˊ˗


でも、
でも私はこの葛藤に気づいた。

もう、正しさを追い求めて
生きていくなんて
まっぴらごめんだ!!

そんな生き方したくない。

私の言葉は、
私を喜びへと導くためにあるのに。
私を幸せにするために、
存在しているのだから。

なのに、誰かを言い負かす?
自分が正しいこと証明する?
意味不明だ。

これは私の本当の望みじゃない。

勝手に条件づけして、
勝手に傷ついて、落ち込んで。

私は愛されてない、
私は認めてもらえてないって
卑屈ひくつになるなんて!!

嫌だ。嫌だ。もう嫌だ。
絶対に嫌だ。

それに私は、
正しい人間でいなくたって
正しいことをしなくたって

例え、
選択を間違えてしまったとしても
過去に間違いを犯してきたとしても

それでも、
私は愛されるのだから。

愛されていいのだから。

愛される価値があるのだから。

愛されることに『正しさ』なんて
必要ないんだ、本当は。


˗ˏˋ ෆ ˎˊ˗


私は、この葛藤を手放します⍤⃝
もう必要ないから☺︎☺︎

私は正しいことをしなくていいし、
私が正しいことを
誰にも証明しなくていい。

私の人生には『正しい言葉』も
『正しい選択』『正しい行動』も
もう必要ない。

私の人生を導くものは、
“愛されるための正しさ”ではなくて、
私を心から満たしてくれる
“真の喜び”であるはずだから。

私は主導権を、葛藤から喜びへと
わたすと決めた☀️☺︎☺︎


 ⋅𖥔⋅ ━✶━ ⋅𖥔⋅


ここ最近のわたしの物語でした📕
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ABOUT ME
𝐸𝑅𝐼𝐶𝑂(えりこ)
𝐸𝑅𝐼𝐶𝑂(えりこ)
𝐴𝑟𝑡 𝐷𝑖𝑟𝑒𝑐𝑡𝑜𝑟/ 
𝐶𝑜𝑛𝑡𝑒𝑛𝑡𝑠 𝐶𝑟𝑒𝑎𝑡𝑜𝑟/ 
𝐵𝑙𝑜𝑔𝑔𝑒𝑟
私の言葉は、私を輝かせるためにある。私の言葉は、私を喜びに満たすためにある。言葉には命が宿っていて、自分が放った言葉は、おそかれ早かれ、あらゆる形で現実化する。相手に放った言葉も、自分に放った言葉も、結局は、自分の元に戻ってくる。そう、言葉は魔法だ。
私は私の言葉で、今日も私の世界を創造していく。
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