あのとき、本当は嫌だと思っていたことを言えばよかった。
過去は過去だから
存在していないのも同じ
でも、どうしても同じ場面に
引っ張られてしまうなら
そこでとった過去の自分の反応に
気づくべき”何か”が
あるのかもしれない
『あの時
本当は嫌だと思っていたこと
言えばよかった』
最近の私はこんな思考を
ずっとグルグルと考えていた
もう今さらそんな事を言っても
何も変わりはしないし
どうしようもないのだけど
自分のためにも
思い残したことや、
いくつかの場面で言えなかったことを
今ここで書きとめておこうと思う。
私、本当は嫌だったんだよ
あなたのその態度が悲しかった
だって私と一緒にいるのに
あなたは私を見ないで
ずっとスマホを見続けてるんだもん。
まるで私がそこに
存在していないかのように。
私、本当は嫌だったんだよ
あなたが私の話を聞いているようで
理解しているふりをして
何も聞いていない事を
分かっていたから。
私が話すことよりも
あなたのことを1つも大事にしない
どうでもいい男に夢中だったから
その後もずっと
私のアドバイスを聞いてるようで
何も受け取ってなかったよね。
だから私は
ずっとモヤモヤしていたんだ。
あなたのことが大好きだから
あなたを尊重しようとして
私は私の想いを伝えるのを
グっとこらえたんだ。
いつだったか
私の先生が言っていた。
相手を受け入れるのと
ただ何もジャッジせずに
認めることは
全く違うことなんだよ、と。
受け入れなくてもいいんだ
ただ、認めてあげなさい
そう言っていた。
私はその時は
あまり意味が分からなくて
受け入れるのと、認めるの
何が違うの?どう違うの?
そう混乱していたけど
今ならその差別化を
できそうな気がしている。
私はもう望まない関係性を
自分の人生に受け入れないと
決めたのだから。
相手がどんな言葉を使って
どんな態度をとって
私をどんな風に扱うのかは
その人の自由だけど
それを
自分の世界に受け入れるのか
それとも私の世界には
必要のないものとして
『NO』と言うのかは
私が選択していいことだ。
そう、自分の人生なんだから
私が自由に決めていいんだ。
自分を主張することは
誰かを傷つけることになると
ずっと思い込んでいた。
そしてまた
自分を主張することは
大切な友人を失う理由にもなると
思い込んでいたんだ。
だから、私はいつも
口をつぐんでいた。
物分りのいい人のフリをして
良き理解者を演じていたんだ。
私は今すごく
悲しいフィーリングを
感じている。
何が悲しいのかって、
ずっと自分を
信じてあげられなかったことだ。
きっと、
今まで私が関わった人たちは
私が本当のことを言っても
そんな私を
受け入れてくれてただろう。
みんな、
とても大きな愛に
溢れた人たちであるから。
だけど
私が彼らを信じていなかったんだ。
私が”私”でいたら
きっと一緒にいてもらえなくなると
そう思っていたんだろう。
問題は彼らが
私をどう扱ったかではなく
私が私を信頼していなかった事だ。
私が、私の感じていることを
ちゃんと信頼していなかった。
ただ、それだけのことだ。
だから私は、いつも人間関係を
こじらせるのが上手だった。笑
私はちゃんと
私が感じていることを
信頼しようと思う。
例えそれが
相手の価値観やルールと
違うようなことであってもね。
そうすれば
ちゃんと次にチャンスが来たときに
自分のことを打ち明けられるだろう。
ううん、次はちゃんと
打ち明けるんだ。
いつかやってくるその日までに
私はもっと強く優しくなれそうだ。

